山科日野岳から醍醐寺

2003年1月5日晴れ 参加者:さくちゃん・コスモス・まさちゃん・かねやん

2003年の初登山は山科の日野岳
から醍醐寺までの山道を歩いてきま
した。
京阪六地蔵駅前に集合し10:20分
のバスで日野誕生院前に到着。
親鸞聖人誕生の地と書いた寺の掲
示板を読み、しばし観光気分。
寺を後に右折して道路を山へ進むと
野外活動センターが左手にあります
今日は晴れなのだが、風が寒い。
センターの野球場ではこども達が元
気に声をあげて少年野球をやってい
る。(左の図はカシミールを利用)
舗装路の横から指導標の通りに方
丈石へ向かう。
その昔、加茂長明がここで庵を営み
かの有名な方丈記を執筆した場所
である。
右手すぐ下に細い沢の流れを見な
がら暗い林の踏み跡を辿ると。
白い案内の柱が大きな岩の前に立
っていてすぐわかった。

どうやら四畳半ほどの広さの岩の上
に庵が建っていたらしい。前には灯
篭と石碑があった。
遺跡を後にして掘割状の道をジグザ
グに登ってゆくと、やがて水平にな
り落ち葉の敷き詰められた快適な遊歩道のようになる。目の前に祠と何体かの古い地蔵が現れ、左手の巨大な岩の下にも地蔵が奉られてある広場に出会う。弘法の岩清水と呼ばれる場所だ。
今日は水が枯れているが、4年前に訪れたときには岩から水が落ちていた。
ここから供水峠はすぐである。標高300mの藪の峠は日野と炭山の集落をつなぐ峠道だ。
往時のにぎわいはどんなものだったろうか峠から雑木の中を縫いながら北へ日野岳を目指す。
落ち葉を踏みしめながら斜面を上がる。最近つけたのか白い紙テープがやたらと立ち木に巻いてありうるさい。ほどなく山頂373mに到着山頂には二人の女の子と父親がいた元気に走り回る女の子に声を掛けながら、これから向かう道の情報交換を父親とした。
時間もちょうど良いので、陽だまりを見つけ宴会モードに入る。
座ったとたんに陽が陰り寒くなってきたがかまわず、酒で乾杯。
寒いがやはり新年は酒に限る。
皆さん酒豪でどんどん進む、熱燗はいっきに無くなった。いやあ我が登山会の女性は強いぞ。酒が無くなり会話も途絶えがちになって、寒さが増してきたのでさて出発とする。寒い寒いを連発しながら、道をゆるゆると下り、このコース唯一の展望台で、京都冬の南部の景色を眺める。大阪から西山まで視界は抜群に見えた。
さらに下り、通称ユーレイ峠に下る。この名称はいったいだれが名づけたのか?
先の親子の父親の話によれば、ある学校の先生が遠足の引率の前に命名したのだとかその先生はちゃめっけがあったらしい。でも往々にしてそのようにして名前が通俗化していくのかも知れない。
峠からは全くの水平道が尾根に沿って延びている快適に歩いてゆくとやがて醍醐寺の裏手に出て奥醍醐への入り口に下った。
今日はまだ幕の内ということなのか、平常は閉まっている裏手入場門が開放されているのでそこから入り、正門へ出て登山終了。その後は近くの喫茶店で今後の計画を練りました。


               
                     

                                   

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